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2018.03.20 10:54

渡り鳥

 季は春、春の夕焼け空を綺麗な隊列で飛んでいく渡り鳥の鳴き声はどこか寂し気で、新しい門出に必ずある別れを象徴しているようにも感じます。娘から妻へのメールは自分で作った夕食やお弁当の写真の様子です。シンマイ保育士は「子供たちに遊んでもらってる」との感想との事でした・・・・笑
 ジルポルトテイラーの脳の奇蹟を読むと、人間の体に存在する50兆の細胞との意思の伝達をしたことが書かれています。ニューロンの再生や、脳の勝手なおしゃべりなども記載されていて、「おらおらでひとりゆくも」の一人喋りもまた人の脳が持ち合わせる仕組みなんですね。誰でもそうした体験があるのではないでしょうか?
 話は私の脳卒中体験になりますが、思い返すと脳出血を起こす前には今思うと前兆がありました。会社から自宅に戻る運転中に、瞼が突然痙攣して、前を向いて運転することが出来なくなったのです。これは二三日続きましたが、直ぐに現象が無くなるのでそのままにしてしまいました。今思うと、あの時に病院に行けば片麻痺にならずに済んだのかもしれません。そして2017年7月30日、遠山棟梁の定年退職祝のその日に挨拶をした際に自分では口がうまく回らない気がして、「なんか呂律が回らない変だから、2階で休む」と云って階段を上がって2階のソファーで横になりましたが、「口が変にだらんとしてるよ」と、心配した専務が救急車を呼ぶと云うので、「いや呼ぶな車で病院に行こう!ここに鍵がある」とカバンを指差そうとしたのですが、左の指が動かないので、右指で何度も「このバッグにが鍵ある」と言い張ってしまいました。でも救急車を呼ばれたので、諦めて同意しながら、階段を歩いて降りて外に出て、性懲りもなく、自家用車に乗り込みました。でもサイレンの音が聞こえて、やってきた救急車のベッドに乗り込んだのです。ここまでの一連の身動きは出来て会話もしていたので、特に苦しくは無く、意識も正常でしたが、血圧は200/100位に高かった模様です。左指差しが出来なくて動かなかったので不安はあったのですが、まさか左半身麻痺になるとは、思いもしない人生最大の突然の出来事だったのです。その後、救急センターに運ばれて、体を拘束され、MRI室に入れられたのですが、あの脳内に響く嫌な音に抵抗して暴れてしまいました。何度も死ぬぞと怒られながらも、嫌で嫌で仕方がなかったのを今でも記憶しています。後から話を聞くと、脳内で出血しているそれが収まらないと、頭の開閉手術をしなければ、命に係わるかもしれない。そうなると、その後の後遺症は予測できないとの事を先生に言われた様です。私はその間体を拘束されたのが嫌で暴れたのが原因で高血圧が下がらずに出血が止まらなかったのだと思いますが、次第に薬か点滴か何かが利いてきて、たぶん落ち着いたのだと思います。いつの間にか睡眠状態に入って、一命をとりとめ、頭の開閉手術もせずに済みました。そうして、1年半の入院生活でリハビリしたのですが、左半身は自由に動かすことが出来なくて片麻痺のままです。何とか会社に復帰して、頭と口を使いながら仕事を毎日こなし、日記もこうして毎日書いています。その不自由な毎日を無事に過ごすには、家内の専務の助けなくしては有り得ず、私の代わりに図面を書き現場の段取りをする社員の面々無くしては会社が機能できません。また、昔の私の様に体を動かして働く大工や多能工メンバーが一心同体になって働いてくれるからこそ、お請けした住まいが出来上がります。本当に感謝しています。何時までこうした状態が続くのかと不安な気持ちになるのですが、奇跡の脳を読んで10年で復活した脳学者の生き様や考え方を学び、今を懸命に生きて頑張りたいと思います。